今日は、*甲州道中の大月近辺を歩いてみようと思う。
たびたび購入しているJR東日本の「休日おでかけパス」を利用して
5:15戸塚駅発、東京上野ライン高崎行きに乗り横浜、東神奈川と乗り継ぎ
八王子6:35始発、松本行普通列車に乗って大月までやってきました。
*(今は甲州街道という名称が一般的、以前は
甲州道中という呼び名だったらしい)
八王子始発普通列車松本行に乗るのは2回目。
前回は去年(2021年)12月13日に上諏訪の「片倉館」まで行ったときに乗ったばかりだ。
大月駅着7:19着。
天気予報では日中晴れて4月上旬くらいの気温になると言っていたが
やっぱり大月の朝は寒い。
大月駅前のロータリーに接する東西に延びている道路が
昔の甲州道中のようだ。
今回参考にした地図というか
ガイドブックは「ちゃんと歩ける甲州街道」八木牧夫著 株式会社 山と渓谷社
このガイドブック、コンパクトで持ち歩きやすいわりに、ちゃんと歩けるという
書名どおりわかりやすくてとてもよかった。
旧街道は大月駅前ロータリーから数百メートル進んだところで
国道20号の大月2丁目交差点に出る。
道路を挟んで向かいが大月市役所。
市役所からすぐ先に溝口本陣跡がある。
「明治天皇御召換所趾」という石碑がある。
写真では道がまっすぐ伸びているが、
甲州道中は溝口本陣前で90度北側に方向を変えている。
まっすぐ伸びているのは現在の国道20号線で、
その先の見えている信号を左折すると富士山道で富士吉田方面に向かう。
中央線の線路を陸橋で渡ったところでまた90度西に
方向を変える。
坂道を下り桂川を渡る。
橋を渡ち切ってから200mほどで国道と合流する。
合流から500mくらい進むと、左側に下花咲の一里塚跡が現れる。
道路の向かい側はファミリーマート。
一里塚から間もなくで下花咲星野本陣跡に着く。
この建物は国指定重要文化財に指定されている。
朝の早い時間なので、開館はしていないので
外部をぐるっと一周回ってみた。
かなり大きな規模の木造建築だ。
甲州道中の大月近辺で現存する本陣や脇本陣は規模が大きい、
東海道などと比べて宿場間の距離は短いし
規模も大きいが、それだけの需要があったのだろうか?
下花咲の本陣を離れて、
甲州道中(現在の国道20号)をしばらく淡々と歩く。
上花咲のバス停を過ぎ右斜め前のお宅に向かう専用道路のような道が現れる。
その道筋が甲州道中、廿三夜塔が右側に、石仏群が左側にみえる。
中央高速道、富士吉田線の高架を過ぎたところ、
フェンスの上に尾曽後峠(鎌倉街道)という小さな標識が出ていた。
まだしばらく国道20号を淡々と歩く。
大月警察署を過ぎる。
真木橋で笹子川を渡るとすぐに上り坂となり、
信号機と歩道橋のある「真木」という交差点が見える。
その交差点を大月から来て左折する道筋が甲州道中。
わずか100m程度進んだところでまた国道と合流する。
その合流地点からJAの支店を過ぎ、左側に「源氏橋」という橋が現れる。
その橋を渡るのが甲州道中の道筋。
笹子川とJR中央本線を渡ってすぐ線路沿いの道筋が甲州道中だけれど、
砕石会社が通した道路じゃないの?と思いたくなるような道。
中央本線沿いの甲州道中を進んでいくと、
現在は砕石場の敷地内では?と思うような場所に出るが、
プラントの機械類の横を通って甲州道中に復帰できた。
街道に復帰した近くの左側にあった石仏石塔群。
石仏石塔群付近の甲州道中。
少し進むと、JR中央本線の踏切に出た。
ちょうど上り普通列車が踏切を通過。
踏切を渡ってすぐ右側に「聖護院同興歌碑」がある。
碑面には「今はとてかすみを分けてかえるさにおぼつかなしやはつかりの里」とあり
京都の聖護院門跡同興がこの地を訪れた際、詠んだ歌との説明書きがある。
JR中央線の踏切から100mほど進んだところで、
国道20号線と合流する。
国道との合流から少し先の右側に石碑が立っていた。
「山本周五郎生誕之地」この建物は下初狩宿の奥脇本陣で
門構も現存する。
山本周五郎は奥脇家の御堂屋敷の長屋で生まれたとのこと。
山本周五郎生家の碑がある奥脇本陣から600mほど進んだ、初狩小学校の前に
「松尾芭蕉」の句碑がある。
五街道ウォーク・八木牧夫著『ちゃんと歩ける甲州街道』によれば、
句碑には「やまがつのおとがいとずるむぐらかな」と刻んであるらしい。
芭蕉は天和二年(1682)八百屋お七の大火で焼けだされ、
初狩に住む実姉を頼り半年間暮らしたらしい。
芭蕉の句碑から数百メートル進んだところに
中初狩宿の「小林本陣跡」がある。
写真左の石碑は明治天皇が本陣で休息したことを記念して建てたもの。
中初狩宿と白野宿の中間にある石仏・石塔・常夜灯
石仏・石塔群の先、船石橋という橋で笹子川を渡る。
しばらくは国道20号線を歩く、国道は天神山という小山の南側を通っているが、
旧街道は北側を迂回していたらしい、JR中央本線のガードをくぐり、
山のふもとを巻いて北方面にカーブしている。
このカーブでは歩道や歩行者をカバーするガードレールがないので
向かいから急に車が来ておっかない。
おそらく、ここを人が歩くことを想定していないのではないかと思う。
天神山のカーブから150mほど先
旧街道は国道20号線と別れる。
右側バス停近くに庚申塔と常夜灯。
白野塾の甲州道中。
500mほどでまた国道20号線と合流する。
旧街道は大鹿川という川を渡ってすぐに国道から右に分かれる。
先ほどから木材の芳香が漂っている。
出どこは笹子川の対岸にあるバイオマス発電所。
旧街道のこの辺り「原」という地名らしい、
原という地名は平らなところを」差す地名のようだ、
例えば、東海道五十三次の「原」「吉原」などの宿場の地名。
うちの近くにも「原宿」という地名のところがある。
確かに他のところと比べても原宿界隈は平らな地形だ。
右側が稲村神社。
左側電信柱と道路の先に見えるのは、親鸞聖人念仏供養塔。
親鸞聖人念仏供養塔。
先ほどの稲村神社と親鸞聖人念仏供養塔から200mほどで
JR中央本線をくぐる間もなく国道20号線と合流し
5から600mほど進んだところに笹子川を渡る新笹子川橋が
左側に見える、旧街道は右側の道を進んだ方らしい。
現在の国道が通っている新笹子川橋からすぐに
旧笹子川橋が架かっていた、新笹子川橋はよく通っているけれど、
旧笹子川橋がここにあることは知らなかった。
老朽化して危険なのか?
車両通行止となっている。
川の向こう側の左に見える建物は、笹一酒造の建物。
私の記憶では、以前この酒造会社の駐車場は、
見学に来た観光バスや乗車でにぎわっていたが、
今は広い駐車場に車は数台。
笹子川橋から国道20号線を300mほど進んだところに
JR中央本線の笹子駅入口。
今日のところはこの駅から帰路に就く。
この先は笹子峠の山道だからね。
この先はまたの機会に来よう。
時刻表を見たら上り普通列車が2分後に来る。
慌ててホームに上がったら、すぐに電車が来た。
どうやらこの駅から上り普通列車に乗るのは私だけのようだ。