2014年12月6日に不忍池から護国寺まで歩いて徘徊した記録です。
御徒町のアメ横、正月用の買い出しで大晦日に近くなるとすごい人出になるところだけど、土曜の朝八時は人通りもない。
昔はこここまでミリタリー系のジャンパーやジッポーを買うためにやってきた事を思い出す。
不忍池の銀杏が朝日を浴びて金色に輝いています。遠い昔、不忍池の周囲を歩いたことがありましたが、中の通りを歩くのは初めてです。
不忍池のを渡り、上野動物園の外周を歩きます。森鴎外居住跡を過ぎたところに、3階建て木造の洋館が現れました。昭和4年築 元旅館の建物です。今は住宅として使われているようです。
洋館の近くにの路地には錢湯もありました、錢湯の中を確認していませんが、多分現役の錢湯です。錢湯のすぐ先の交差点を右に曲がると、清水坂です。写真は錢湯と清水坂の途中にあるレンガ積みの建物。
清水坂を登り終わり、上野高校にそって進み角を右折したところに、古い民家が現れました。説明書きによると、市田邸(明治40年築)国登録有形文化財 江戸時代に寛永寺の子院が並んでいたところを明治に入り民間に敷地が分譲されて、住宅街に変わったそうです。この住宅の道路を挟んだ向かい側は東京芸大で芸大の音楽生の下宿も提供していたようです。
東京芸大の塀沿いに歩く。道路の先は寛永寺に突き当たります。
芸大裏を寛永寺まで進み左折するとそこは言問通り、その向こうは谷中の寺町です。写真は寛永寺幼稚園裏の言問い通り沿いの住宅。
谷中の墓地を抜けて三崎坂に向かう道の幼稚園前に立派な古い商家があり、杉玉が下がっていたので酒屋かとおもいきや、今は自転車屋が使っています。
谷中の寺町をぶらつく、写真は三浦坂の上から根津方面を撮影。
谷中を日暮里駅方面にブラブラ歩く。今は谷中5丁目の公園になっているところが岡倉天心が日本美術院を創設したところだとのことです。私が持っているポケット地図には、公園の表記もありません。岡倉天心は横浜の生まれです。木の建築クラブやオープンシステムの集まりでよく利用する現在の開港記念館に天心生誕の地の碑があります。
七面坂を登り、日暮里駅付近まできました。お寺さんの隣に佃煮屋さんが商売をしています。こういうお店は今後も残って欲しいですね。
店のショーケースを撮影、職人の手作りの品は買って行きたい所ですが、まだ先がありますので。残念。
まっすぐ進むとこじんまりした町家がありました。
谷中初音町の説明板の横に街角賞のプレート。
この町家から直角に伸びている谷中の路地。
-2につづきます。